null57の雑記

現役大学生のただの雑記です。読んだ本を紹介したり色々なことに言及したり。たまに趣味。

「過去を振り返るな」なんて言われましても

過去を振り返らないと自分が幸せであることを忘れてしまいます。

 

半年くらい前に、中学時代お世話になった塾長に「過去は振り返ったらいけないよ、nullさんの人生はこれから沢山のことが待っているんだから、過去なんて振り返ったらいけない」

と、言われました。

 

 

確かに、高校生活で十分ポジティブになった。ご飯が美味しくて友達に恵まれることがどれだけ素晴らしいかということも分かった。

だから、私はもう、過去を振り返る必要はないのかもしれません。けれど根本的な所で私はまだネガティヴであり、どこかに劣等感を抱いている気がする。劣等感を埋めるにはどうしたらいいのだろう、と高校生活中に考えていた。一つ、賢くなること。二つ、ありのままの自分自身を愛せるようになること。私は前者を選んだ。

しかし高校生活で埋めたはずの劣等感はまた新しい劣等感を運んできた。きっとこの応酬に終わりはないのだ。私がありのままの自分自身を愛せない限り一生続いていくものだ。きっと私は疲れてしまう。そんな風にいるよりは自分を愛する方法を模索する方が有意義である。

 

そして、題名にもどるが、私が自分自身を愛するために一番手っ取り早く効果のある方法は過去を振り返ることである。

今日はまたいつかこの記事を覗く、自分に自信のなくなった自分のために思いつく限りの昔の話を書く。

正直今となっては私自身当時の思考回路や希死念慮が如何にして生まれたかを説明することはできない。忘れてしまったのだ。

しかし、きちんと鬱病していた時期に私が1日の1秒も「やっぱりあと数時間だけ生きてみよ」と思ったことは一度もないということだ。

本当に、朝から晩まで死にたい、もしくは生きて生きたくないと思っていた。今となれば頭のおかしい話だと思う。

綺麗に生まれなくても幸せになりたい

お久しぶりです。nullです。

 

最近整形に関してすごく世間が寛容になってきたと思いませんか。

アイドルが過去に整形をしたという証拠に高校時代の卒業写真がネットに拡散されて、沢山の赤の他人に非難されて。まるで整形自体が悪であるかのような風潮が生まれて。

とっても綺麗で、心が美しくて、仕草も可愛らしい女の子達が「でも整形したんでしょ」と揶揄される世界が憎いです。整形した顔を綺麗なツルツルのお肌に保つことや、心が美しくあろうとすること、指先の仕草や歩き方や座り方の全てに気を使うこと、そして根底にある、「自分が美しくあろうとする」ために果てしない努力を惜しまない女の子達に「でも整形したんでしょ」と言える神経が私にはよく分かりません。

 

でも、最近は整形アイドルとして、寧ろ、整形をウリにしてテレビに出てるタレントさんもいるし、youtubeでは沢山のユーチューバーが整形したくて仕方のない人達を元気づけています。

 

こうやって様々な人の活躍のおかげで、私達みたいに自分の顔が嫌いで変えてしまいたいと思っている人達や実際に顔を美しく変えた人達がひっそりと救われているのだと思うと

とっても素敵なことだなって。

 

さて、私の話に移りますが、

私はたとえ整形をするお金があったとしても、整形しないと、何となくですが、思っています。これは、自分の顔が好きだからとか、人より優れていると思っているからとか、そういう理由ではありません。

 

自分の顔は好きじゃないです。実際人より劣ってるし、スタイル悪いし。そうそう、スタイルって理想の形に変えられないからもっとタチ悪いですよね。

私の目が、もっと大きくて平行二重で涙袋がぷっくりあって蒙古襞が無くて、唇は薄いながらも御人形さんのようで、鼻が鼻筋の通った小さいものだったら、めちゃくちゃ自信つくし、梅田を真っ直ぐ前を向いて歩けるし、不機嫌に見えないように唇の端を噛んでいる必要もなくなるんだと思います。そんで、フランフランでお洒落なマグカップを買えます。

 

でも私は、多分整形しない。

お金があっても整形しない。

 

上手く言えないけど、自分の自己肯定感の低さは顔の美醜によるものじゃないと気付いているから。というより、そう信じていたいから。

 

顔が美しくなるだけで、私がフランフランのお洒落な食器を買い揃えて、なんの悩みもなくフリフリのクッションを抱き枕にして寝られるなんて、考えたくない。

整形したら、自分のことを心から愛せるようになりますか??

 

この私の自己肯定感の低さが、私の生まれつきの顔から形成されたものであるとするなら、私が数年間死にたくて死にたくて苦しみ続けたあの期間はなんだったんだろう。私がもっと美人に生まれたら首を吊らずに済んだのか、手首に一生残る傷を残さずに済んだのか。あんなに死にたいと思うことなんて無かったのか。

生まれつきの顔だけで私の人生が決まってしまったなんて、私は認めたくない。生まれつきの顔だけで人の人生を決定する社会なんて悲しい。

 

もちろん、私だって綺麗で可愛いマグカップと、薄汚れたマグカップがあれば、綺麗で可愛い方を取るんだけど、それだけで人生が決まるなんて悲しい。綺麗に生まれなくても、幸せになれると信じたい。そういう世界であってほしいという思いがあります。

 

綺麗な顔に生まれなくても、自分のことを愛せるようになりたい、胸を張って堂々と歩けるようになりたい、人に写真を撮られる時に自然に笑顔になりたい、そしてフランフランでお洒落で可愛いマグカップを買うんだ。

 

だから私は整形しない。

綺麗な顔で生まれなくても幸せになれるのだと信じていたいから。

 

 

 

 

 

 

「とんでもない死に方の科学」が思いのほか面白い。

人間はすべて死ぬ。

医療の発達した現代では、おおよそ死因はがんや、心疾患、肺炎、もしかしたら交通事故にあって早死にするかもしれないが実際自分が死ぬとしたら、その辺だと思うだろう。非常に妥当である。

 

しかし死への道はなにも病気や交通事故だけではない。

我々はあらゆる方法で我々自身を死に至らしめることができる。

バナナの皮を踏んでみたり、樽の中に入って滝から落ちてみたり。

にも拘わらず、私たちは、「ありがちな死因」しかどのような過程をたどって死に至るのかを知らない。これは本当にもったいないことである

し、私ははっきり言って書店で表紙を見たとき知的欲求が生まれた。

 

はい、買いました。

 

「とんでもない死に方の科学:もし○○したら、あなたはこう死ぬ」

とんでもない死に方の科学: もし○○したら、あなたはこう死ぬ

とんでもない死に方の科学: もし○○したら、あなたはこう死ぬ

 

 

45の小項目にわかれ、それぞれ「もし、○○したらどう死ぬのか」を科学的に大真面目に書かれている。

「バナナの皮を踏んだら?」「はちの大軍に襲われたら?」などといった、人生の中でもしかしたら機会があるかもしれないものや、「生きたまま埋葬されたら?」「生贄として火山に投げこまれたら?」といった、おいおい!それは流石にないぜ!!??というものまで、これを大真面目に書いてあるんだから、こちらとしても大真面目に読むしかあるまい。

 

更にはタイムマシーンやブラックホールといった、これはそもそも十分に調べられていないだろ!!??といったものまで、ご丁寧に参考文献付きで解説されている。

 

この参考文献も非常に興味がそそられる内容になっていて、一冊で二度美味しい...。

 

常に堅苦しく書かれているわけではなく、大真面目な作者は時々私たちに助言をくれる。そう、死ぬしかないような状態で少しでも生存率をたかめるための助言だ。

参考になるかもしれないが、実生活で役に立つときが来るかと言えば、多分来ない。そもそも、緊迫した状況でこの本の知識を頭の片隅から取り出し、直ちに行動に移せるほど冷静ではいられない。

 

ただ話のネタにはなる。私が本書を読んで一番笑ったところはここだ。

 

三節:バナナの皮を踏んだら(引用)

逆のほうはというと、フローリングの床を靴下で滑ったら摩擦係数はたったの0.23。その上をいくのが氷で、スケートリンクをゴム底の靴で歩こうもんならなんとも無様なことになる。それもそのはず、氷上のゴムは摩擦係数が0.15しかない。転んで痛い目にあうのも無理はないだろう。 でもそれもこれも全部、バナナの前ではひれ伏すしかない。(中略)

その結果、漫画で痛い目をみる奴を「ドジで間抜け」呼ばわりしては気の毒だということがわかった。フローリング上のバナナの皮は、摩擦係数がわずか0.07なのである。

 

 いや調べたんかい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

氷よりも滑るんかい!!!!!!!!!!!!!!!

 

もう、めちゃくちゃ心の中でウケさせていただきました。

バナナの皮は滑りやすいことは周知の事実ですが、実際にここまで明確に滑りやすさを示されてしまうと流石に笑ってしまいます。

 

と、このように可笑しくも実際に調べられていたことや、ありえないだろ!という状態に率先して自分を持って行った猛者たちも、この本を読むことで知ることができます。

 

いや、本当に面白いのでぜひ皆さん手に取って読んでみてください。